アーケード

ファンとしての、転機が訪れた。

謹慎が発表された日でも活動再開が発表された日でもない、彼が復帰して2ヶ月と16日が経った平日の夜中の2時ごろ。自分の部屋の中で。

この半年間ずっときつい。なにかと自分の将来について考え、落ち込み、立ち直れずに自己嫌悪。この繰り返しだった。将来のあれこれを考える癖がジャニオタとしての生活にまで浸食して、今再び歩き出した彼の将来についてもあれこれ考えてしまっている。

そんな私が、あるブログを読んだ。

自動的に明日が来るのが耐えられず眠りにつくことを拒否してぼーっと起きていた夜中の2時、偶然Twitterで見つけた。

同担だった。ここに詳しく書くことは割愛するほどに思考を巡らせた彼の将来について、漠然とした不安と、お節介で自意識過剰としか言えない心配を抱えた私は簡潔なことばではじめられるそのブログに、引き寄せられるようにアクセスした。読了して、鼻の奥がツンとした。泣きたかった。泣きそうだった。でも泣かなかった。あまりの感動に圧倒されていた。精神を磨耗した半年間。漠然とした不安。夜中の2時。センチメンタルになるには十分すぎるほどに材料が揃った状況で、泣きたくなるのは当たり前かもしれなかった。でもこのタイミングでそのブログを読めたことがひとつの運命のように感じた。自分がこのような状態の時に、偶然、フォローしていたわけでもフォロワーだったわけでもない、フォロワーのフォロワーだったわけでもない見知らぬ同担のブログを、このインターネットの海から拾い上げたことが運命だと思った。すぐに感想を送ってしまった。一方的なものだったので返信は不要と伝えたが、その人は返事をくれた。

不思議な感覚だった。好きなユーザーにメッセージを送って返信をもらったり、仲良くしたいなと思っていた同界隈の子と仲良くなれたり、それまで何回も経験してきたこととなにも変わらないはずだった。でもなぜか私はその返信にひどく胸が熱くなって、例えるなら憧れの先輩にすれ違いざまに微笑みかけてもらったような感覚に陥った。見ず知らずのブログを読んだだけの同担に抱く、はじめての感情だった。

 

あなたとは、これからもフォローしたり会話を交わしたりすることはなくそれぞれのファン生活を続けていくんだと思います。そうしたいとかではなく、そうなるんだと思います。必然なのだと思います。あなたの素敵なブログは私の転機となりました。今のことに思いを馳せてもう一度いろいろと思考を巡らせるのは5年後10年後、いやもっと近い将来かもしれませんが、彼らにとっての大事な何かが起こった時ではないかなとなんとなく思っています。そしてその時私はまた文章を書きます。自己満足が大半ですが、いつかどこかで昨日の私のように、インターネットの海からあなたがその文章を拾い上げてくれることをすこし期待して。その時あなたの中の彼をアップデートすることができたなら、この上なく嬉しいです。

散らばる紫の光の一つになること。それをこれからも続けていける、続けていこうと思えたのはあなたの文章があったからです。

 

追記:また久しぶりにブログでも書こうかと自分のページにアクセスすると、この下書きが残っていました。文中から察するに2020年の2月ごろに書いたものです。この方のことは3年経った今でも覚えています。アカウントはもう消えていました。